<インタヴューズ>BD(ブルーレイ・ディスク)誕生秘話〜(小川博司 その1)
「インタヴューズ。」
〜デジタルAVの「知」に会う〜
BDにおいて技術と人が交差する場所に立つ人
前号の中島平太郎さんとのインタヴューを終えてすぐあと、中島さんから直接、電話がかかってきた。「小川君ならいま席にいるからすぐに連絡をするように」と言うのだ。
中島さんが「小川君」と親しみを込めた人物はソニーの小川博司さん。肩書きは「ホームエレクトロニクス開発本部オプティカル開発部門副部門長」(2005年3月現在)だが、ソニーのみならずBDA(ブルーレイディスクアソシエーション)におけるキーマンの一人で、BDのエンジニアリングに携わる者で小川さんを知らないのは「もぐり」とさえ言われる。それくらい小川さんは、BDにおいて技術と人が交差する場所に立つ人だ。
(第1回「中島平太郎」からつづく)
前回の「インタヴューズ」の最後の方で、中島さんにこんな質問を向けた。「中島さんは『R文化』ということをおっしゃっていますが、その志を受け継ぐ人はどなたですか」と。そうしたら中島さんは即座に「ソニーでBDをやっている小川博司君」とおっしゃった。この瞬間、次回のインタヴューの相手が決まったのである。
小川さんと言えば、私はかつて中島さんとの共著を読んでCDの技術を勉強したことがある。CDをつくった主要なメンバーが、BDの開発においてもなお中心的役割なのである。インタヴューは、小川さんと中島さんとの出会いから始まる。
「そういうつまらん仕事は
やめなさい」と師に言われる
――中島さんと小川さんの関係を、まわりは「師弟」と称しています(笑)
小川 私の入社したときは、ちょうどデジタルオーディオの芽生えの時期で、中島さんは、他のことはともかく(笑)、音質に関しては絶対に譲らない。そういうオーディオを知り尽くした人が私たちにオーディオの夢を熱く語ってくれた。
「NHKの技術研究所時代にデジタルオーディオを手がけたのだが、誰もその意味がわからなかった。それでソニーでぜひデジタルオーディオをやりたい。テーマはディスク、テープ、放送である」と。
私はディスクにアサインされてCDの開発にかかわることになり、オランダ(フィリップスのこと)に「人質」みたいな経験もした。
――つらそうです。
小川 考えてみれば、ソニーの最大のコンペティターはフィリップスなのだから、最後は打ち解けたけれど、最初は互いが信じ合っているわけではなかった。フィリップスには「お前たちを論破してやる」という雰囲気があって正直かなりつらい時期もあった。(・・・中略・・・)しかし、フィリップスには懐の深いところがあっておかげで光ディスクについてはたいへん勉強させてもらった。
――それからはどうしたんですか?
小川 (CDの)LSIの設計を終えた私は、いったんCDから離れてMO(光磁気ディスク)の開発に移っていた。ところがそんなある日、アイワの社長になっていた中島さんからちょっと来いと電話があって、出向いたアイワには太陽誘電さんの技術者がいる。そこで見せられたのが、いまで言うCD-Rだった。
中島さんはこのディスクを前に、CDプレーヤーで再生できるライトワンスディスクをぜひやりたいと。で、「小川君はいまなにをやっているんだ」と聞かれ、MOだと答えたら「そういうつまらん仕事はやめなさい」と言われた(笑)。
――他社の社長がソニーの社員を叱る(笑)
小川 話によれば、中島さんはいろいろなところにCD-Rのコンセプトをもちかけていて、最後に残ったのが太陽誘電さんだった。
ソニーは当時、全社を挙げてMDを開発していたが、それは、私の手がけてきたCDの系とは違っていて私にはCD-Rをやりたいという思いがあった。それで、私の部下と太陽誘電さんのチームとでCD-Rを立ち上げることにした。社内はMDをやらなければ人にあらずの雰囲気だったが、同時に、別のことをそっとやっていてもとがめられない伝統もあって、それがそのころのソニーだった。
それから何年目だったか、「7月13日」に真に100%互換といっていいCDライトワンスディスクが完成した。もっとも、以前には、仕様をわずかに満たせないディスクができたこともあったのだが、オーディオには厳格な中島さんだからそのときは「これはだめ」と一喝され、それからまたみんなで大騒ぎをして完成させたのが「7月13日」だった。
――その後ソニー、フィリップス、太陽誘電が中心となってCD-Rは「オレンジブック パート2」として規格化、一昨年CD-Rは記録メディアとして史上最多の年間100億枚を突破した。
小川 CD-Rが市場に導入され、問題点として懸念されつつあったのが、いろいろなディスクが出てくることによって生じる互換性の問題だった。このことでコンシューマーに迷惑をかけるわけにはいかないため、私たちは自発的に「CD-Rユーザーグループ」という組織をつくった。チェアマンはDVD-Rを育てたパイオニアの井上さんだった。
(・・・中略・・・)
そうやってCD-Rで苦労を共にした仲間には現在BD(ブルーレイディスク)に携わっている人が多い。これは事実で、もっと言えばDVD-Rの仲間も同じ。つまりCD-R、DVD-R、BDのメンバーは共通していて、気心が知れ、けっこう信頼し合っている。知り合ったきっかけはすべてCD-Rにまでさかのぼる。そうだから、BDのメンバーには、CDやDVDのまずかった点をこれですべてよくしたという強烈な自信をもっている。・・・(つづく)
(月刊AVレビュー5月号より抜粋。全文は本誌をご覧下さい)